井の中の蛙だったあの頃。

日常のお話

何も知らない私

”井の中の蛙大海を知らず”という言葉をご存知でしょうか?
他に広い世界があることを知らず、狭い範囲で物事をとらえることのたとえです。

高校生のころ、現代文を担当していた先生が、授業中にこのようにおっしゃいました。

「あなたたちは、井の中の蛙です。まだ広い世界を知らないでいるのです。」

それは、視野が狭いことに対しての批判や蔑んだような含みは一切なく、これから社会にでれば、また違う世界があるのだと、希望を見出してくれたように当時の私は受け取りました。

特段やりたいこと、いわゆる”夢”がなかった私は、高校を卒業後地元の会社へと就職をします。

当時18歳ではあったものの、社会人として大人の世界に足を踏み出した私は、いよいよ大海を知る時がきたのだと、これからは楽しいこと、面白いことが幾度と待ち受けているのだと、若干の不安と膨れ上がった期待に胸を躍らせていました。

今振りかえっても当時はなかなかに純粋で、なかなかの無知だったと思います。

お仕事をしていく中で感じたのは、”しんどい”の四文字でした。

職場の上司は先生ではありません。

こちらからアクションを起こさなければ何も起きませんし、1すら教わっていないのに2ができていないことに対して叱責をいただきます。

今思えば、「1を教えてください。」と愛嬌良く質問ができていれば、たいそうな問題ではなかったのですが、当時の私には
(分からない、聞きたいけど怖くて聞けないし、怒られるかもしれない)
と、一人悶々と自作のマニュアルをめくる日々でした。

大海は広くて美しくないではないか———。

何度、先生に心の中で訴えたか分かりません。

待っていたのです。

綺麗な海が見られる時を。

学生時代より断然生きやすいと思える環境を。

しかし、大海は来ませんでした。

大海を得るために

こちらから出向かないと、大海は見られません。

それに気が付いたのは、入社して3年が経とうとしていた冬のことでした。

80時間のサービス残業と強いられる休日出勤。(80時間など人によっては可愛いものでしょうが、当時の私にとってこの量の残業は生きる以外の選択肢を考えてしまうほどのものでした。)

片道1時間半かかる通勤を繰り返すうちに転職を思い立ちました。

今では、多少残業が発生するものの、ほとんどが定時に出勤し定時に帰社する生活を送らせて頂いています。

動くのです。大海は誰も用意などしてくれはしません。

大海をえるために移動をするのが、はたまた大海をつくるのか。

どちらも容易なことではありませんし、自分のない頭を働かせる必要がありました。

おわりに

”井の中の蛙”と言う言葉には他にも続きがあり、

”井の中の蛙大海を知らず、されど空の蒼さを知る”

であったり、吉田章宏さんがつけ足したといわれる、

”井の中の蛙大海を知らず、されど井の中を知る
海の中の鯨大海を知る、されど井の中を知らず”

というものもあったりします。

前者は井の中にいるからこそ、”空の尊さを重んじることができる”、と私は解釈しました。

恐らく鳥は飛ぶことができなくならない限り、空を尊く感じることはできないでしょう。

後者はおおよそ、人は人、自分は自分というところでしょうか。

他者の世界に憧れることはできたとしても、その環境に身を置かない限り、お互いを真に理解することなどできないのでしょう。

そして、蛙が鯨になれないように、鯨は蛙になれません。

それは生涯、他者のことを理解できないという戒めにも感じます。

井の中の蛙である私は鯨にはなれませんが、鯨の良さを、大海の素晴らしさを感じられる人間で居たいと思うのでした。

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