はじめまして、ぶたこです。

日常のお話

自己紹介

はじめまして、「ぶたこ」と申します。2000年生まれ、地方で会社員をしている女です。

突然ですが、みなさんは”生きる意味”をお持ちでしょうか?

私はまだ見つかっていません。きっと守らなければいけない子供がいたり、叶えたい確固たる野望や夢だとかがあったりすれば、それらが生きていく意味になるのでしょう。

私にはありません。

家族は居ます。今後もずっと一緒にいたいと思う恋人もいます。

けれどその人たちが確信的な”生きる意味”になるかと問われれば、それもまた違うような、押し付けがましいような気さえします————。

そんな、答えの出ないようなことをずっと考えている悶々とした日々の記録を行います。

どんなふうに生きるか

”何のために生きるか”は決まっていませんが、”どんなふうに生きるか”は案外と決まっています。

一つは、「人に期待をしないこと」です。

たかが二十数年の人生を送ってきた中ではありますが、いくつか私の対人関係のルールというか、考えというべきか、”気付き”を得られることができました。

それは、人と人とは全てを分かりあうことなど到底できないということです。

当たり前ですよね。誰にだって「なぜ理解してもらえないのだろう。」と、人に対して疑問を持ったことがあると思います。

そして、その疑問は怒りや不安になり、自分自身を苦しめる悩みの根源になるのです。

怒りを感じること、不安を感じること。

これらは心身ともに体力を使うことです。

他者の一言一動で感情を動かすということはとても疲れるのです。

「きっと理解してもらえるだろう。」最初からそんなふうに考えなければ、理解されないことに対する怒りや不安を持たずに過ごすことができるのです。

どんなふうに生きるかの二つ目は「優しい人間になるよう努めること」です。

前述した通り、他者に理解を求めることは端から考えていません。

人に対して優しい行動をとったからといって、相手から

(優しい行為をしてもらった)

と絶対に思ってもらえるとか、何か見返りがあるだとか、そんなこと期待していません。

ただの自己満足です。

私が生きていくために、自己貢献感を得られること、私なんかでも役立った、生きていて良いんだと感じられることが何よりも重要なのです。

きっと私の中の”生きる意味”の一端を担っているのかもしれません。

そして、あくまでも”努める”に収まる範囲です。

「絶対優しくする」なんて目標は掲げません。

生きやすくするための努力目標なのです。

おわりに

”どんなふうに生きるか”を書き出してみると、ひどく冷たい人間のように感じられますね。

ですが、物心ついてから十数年、全力で他人に優しくしてみたり、はたまた、自分が孤立するように仕向けてみたりした試行錯誤の結果です。

私の試行錯誤はまだまだこれからです。

変化はあまりにもスローモーションで気づくことが遅くなってしまうかもしれないけれど、コツコツと、淡々と、粛々と———。

自分の人生が一ミリ良い方向に近づくように考え、行動していきたいと思います。

このブログはその手段であり、経過記録です。

気が向いたらお立ち寄りください。

答えが出ない考え事をしている私が、ここで静かにお待ちしております。

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