生理痛に耐えながら。

日常のお話

今月も生理はくる

毎月、生理周期管理アプリが生理予定日まで「あと0日」を指した時、大抵その通りに私の体は生理になります。

その度、私はこの地球上の生き物で、生物学的にはメスに区分される器官を持っていて、何とも耐え難い痛みがくることに嫌気が指します。

子宮をゆっくりと握りつぶすような鈍い痛みが続き、額と鼻の頭にはじっとりと脂汗が滲み出ます。

バッグに入れているポーチの中から市販の痛み止めを取り出して服用すると次第に痛みは落ち着きます。

こんなにも痛みが顕著に現れるようになったのは二十代に入ってからでした。

生理と私

小学五年生。

周りの女の子たちが生理になり始めるのと同じようにして、私の体にも大人への変化が見られ始めました。

大人への一歩。

(私もきちんと周りの子たちと同じように成長をしているんだ。)

生理が始まったという事実が、私に真っ当な成長を与えてくれているようで、少し安堵したのを覚えています。

しかし、毎月の生理を繰り返すたび、いつの間にかその煩わしさを理解するようにもなりました。

いつしか面倒だなという思いが心の中を大きく占めるようにも———。

当時は痛みがほとんどなく、何ともいえない不快感と、下着が汚れないように意識するだけの作業的な関わりに近いものがありました。

たまに、同級生の中でもひどい痛みや貧血で保健室へ行く生徒や早退をする女子生徒もいましたが、痛みには個人差があると習った当時は、かわいそうだなと他人事に思うことしかできませんでした。

それが、二十歳を過ぎた頃から次第に痛みが出始め、今では生理のたびに鈍い痛みだったり、時には激痛が走ったりします。

(こんな思いだったのかな。)

今まで可哀想だな、程度に感じていた生理痛のひどい彼女らの気持ちが、少しは理解できたような気がしました。

しかし、全校朝礼で倒れたあの子に比べると、私の痛みなど可愛いものなのかもしれません。

おわりに

ありがたいことにある程度の周期が守られた状態で、毎回の生理を待ち望むことができます。

決して楽しい事ではないけれど、子どもを産む事の出来る体として正常に動いているのだと思うと、仕方ありませんし、感謝せねばなりません。

しかし、痛みは他者には分かりません。

先程私の痛みなど他の人に比べれば可愛いものだろうという旨を前述していますが、だから自分の痛みを我慢しなければいけない、という訳ではありません。

あなたの体の不調は伝えない限り他の人には伝わりません。

そして何より、あなたの体を一番に労わるべくは“あなた自身“なのです。

どうか我慢できると自分を追い込むのではなく、痛い時、しんどい時は体を休めて自分を労ってください。

休みを取りやすいかどうかの環境への不満は社会の責任で、そのせいで生理痛のひどい人や体調の優れないが悩む必要はないと思うのです。

「社会が悪いのだ。」

そう自分に言い聞かせて、体のしんどい日は休みませんか。

そんなように思える人が一人でも増えればなと思った、今日この頃なのでした。

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