天気の良い日はコーヒーが美味しい
天気がいいと気分がいい。
今朝はカーディガンさえ羽織れば目覚めるのにちょうどいいくらいの、肌寒いと涼しいとの合間のような気温でした。
カーテンを開けると柔らかな陽の光が部屋に差し込みます。
部屋探しを始めた当初、「彼にこれだけは絶対に、」と無理を言って南向きのお部屋をお願いしたのは、やはり良い判断だったと思います。
おかげで小さなベランダには近くのお花屋さんで買ってきた花々が開花し始めています。
空を見上げると雲一つない晴天が広がっていました。
インスタントのコーヒーに牛乳を少しいれただけのホットのコーヒーを飲むのは、社会人になって5年目の今でも続いている毎朝の習慣です。
いつもならまだベッドにいる彼と、静かな朝を迎えたいであろうご近所さんに気を遣って、足音さえ最小限に過ごすのですが、とりわけ気持ちのいい今日の朝には、音痴ゆえに控えめにしている鼻歌も気分よく流れ出ます。
毎朝同じように作るコーヒーが、いつもより格別美味しく感じるのもきっと気分がいいせいでしょう。
天気が良いというだけで、コーヒーの味さえ別物に感じてしまうほどの安直な自分に、気楽だなと感じるとともに、天気が悪いだけで気分が落ち込んでしまう脆さに、虚しくもなります。
映画、ドラマ、小説に影響を受けやすい
私は、天気と同じく、映画やドラマ、小説の影響を受けやすいです。
映画や小説が、いわゆるバッドエンドと呼ばれる終わり方をしたり、暗い雰囲気をずっとまとったような物語であったりすれば、分かりやすく暗い気持ちになります。
片や、主人公が前向きな物語の終わりを迎えた場合は、私自身前向きに過ごすことができるのです。
前向きな時は良いのですが、悲劇や死を描いたような作品、もっと言うと浮気をされる女性の悲しみを描いたようなものだと、明日は我が身と疑心暗鬼になることもあります。
本人に伝えることはありませんが、私以外の魅力的な女性に心惹かれているのではないだろうかと、恋人のことを疑ってしまうのです。
そしてその重苦しさを、数日、ひどい時は数週間引きずります。
おわりに
感情の振れ幅があるということは人間の特権であるわけで、とことんその感情に付き合っていきたいと考えています。
しかし、感情に委ねてしまうことの危うさは皆さんご存知の通りかと思います。
感情に飲まれず、喜、怒、哀、楽ある感情を楽しむことのできる人間になれるよう、心理学に関する本をのんびり読み始めている、今日この頃なのでした。